三川内焼とは?長崎 嘉久正製陶所

三川内焼とは何か?三川内焼の魅力

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「三川内焼」とは?

三川内焼は、長崎県佐世保市の陶磁器として知られ、昭和58年には伝統工芸品として経済産業大臣からの指定を受けており、およそ400年という長い歴史を持った陶磁器です。

豊臣秀吉が起こした朝鮮の役は別名「焼き物戦争」とも呼ばれ、各地の大名は秀吉の命により、朝鮮の陶工を連れ帰りました。

現在の長崎県平戸市にあった平戸藩26代藩主の松浦鎮伸が慶長三年(1598年)に連れ帰った陶工の一人である巨関(こせき)は、藩主の命により、平戸の中野の地で最初の窯入れをしました。

これが三川内焼のルーツです。

そのため三川内焼は、今でも「平戸焼」あるいは「中野焼」と呼ばれることがあります。

 

当初は平戸の中野で作られていた平戸焼ですが、この地では良質な陶石を確保することが難しく、良い陶石を求めて移動した結果、三川内の地に落ち着くことになりました。

平戸藩28代藩主鎮信は、寛永14年(1637年)に、巨関(こせき)の息子である今村三之丞に、平戸藩用の製陶所を開くことを命じます。その後平戸藩の御用窯として、上質な三川内焼を将軍や大名に献上するようになります。

国内で評価を高めた三川内焼は海外からの注目も浴びるようになり、17世紀後半に差し掛かると、オランダを始めとするヨーロッパ諸国や中国からも注文が殺到しました。

しかし明治維新を迎え、三川内焼も遂に御用窯から民窯に転じることになります。

生き残りのために一般向けの比較的安価な商品も作りながらも、明治三十二年(1899)には三川内山に意匠伝習所が創設。伝習所の指導のもとに、三川内御用窯の優れた技術は若い陶工たちに受け継がれ、また新たなデザインが加えられながら今日の三川内焼に伝承されています。

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三川内焼の特徴

三川内焼は幕府や大名への献上品として長年作られていたため、利益を求めず手間暇をかけた品が作られていました。

その中で色々な技術や特徴が発展してきたのです。

●染付(そめつけ)

素焼きの白地に、藍色の絵の具「呉須」つまりコバルトを含ませた筆で絵や文様を描き、着色する技法。
三川内焼の染付は「一枚の絵のような」と評されることがあります。焼き物に描かれる柄は、一般的にはたくさんの同じ柄を描くうちに自然と省略や変形が起こっていくとされています。

しかし三川内焼では長い間献上品として芸術性の高いものが作られていたため、図案のパターン化がされにくく、絵を描くように一筆ひとふで絵画的な手法を用いて描かれることが多くありました。
現在では絵画的なものからパターン的なものまで様々な柄が表現されていますが、高い技術の筆使いで描かれていることに変わりはありません。

●唐子(からこ)

喜び遊ぶ中国の子供である「唐子」は、三川内焼を代表する図柄です。
中国では多くの男児に恵まれることが幸福の象徴とされていたため、三川内焼が誕生した頃の中国・明時代には、題材として多く描かれていました。
三川内では、寛文年間(1661年頃)に明の染付から着想し考案されたと伝わっています。

●透かし彫り(すかしぼり)

繊細な技法を駆使した「細工物」のひとつで、器の一部をくり抜くことで模様を表す技法です。
素地が乾燥する前に直接穴を開けていきますが、くり抜くごとにバランスが不安定になり、また強度が下がるため非常に難しい作業です。
三川内焼では全面を彫ることでカゴの網目のように見せるところまで技術が進化しました。


●菊花飾細工(きっかしょくさいく)

磁器製の菊の花を作り、器に貼り付けます。
先端の尖った竹の道具で、土の塊を花びらのように一枚ずつ切り出します。

一周したところで今度はそれを一枚一枚起こして行きます。何回も繰り返すことによって菊の繊細な姿が現れてくるのです。
掘り起こしたときは花びら一枚いちまいが鋭く立っていますが、釉薬をかけ焼成すると、自然の菊のような柔らかさが醸し出されます。

●置き上げ(おきあげ)

立体的な絵柄を、塗り重ねることで器にはりつける手法です。
三川内焼では、水で溶かした白い化粧土を筆で塗り重ね、厚く盛り上げて立体的な図柄を表現します。

硬い磁器の表面に柔らかい布を重ねたような滑らかな素材感が特徴です。

明治時代に完成し、大正~昭和初期に壺や鉢に多く描かれました。

●薄づくり(うすづくり)

光にかざすと電球のように輝く、暑さ1ミリ弱の薄い焼き物です。
三川内焼では江戸時代末期から軽く薄い器が作られ、蓋付きの飯碗や輸出用のコーヒー碗などが知られています。
中国での呼称である「薄胎」や、英語の呼称「eggshell」(卵の殻)から「卵殻手」とも呼ばれていました。

現在の三川内焼

現在、三川内陶磁器工業協同組合に登録されている窯元は16窯。
それぞれが400年の歴史を受け継ぎ、高い技術を活かした商品づくりをしています。

佐世保市の三川内周辺には窯元が軒を連ね、作品を販売している窯元もあります。
昔ながらの煙突や古くなった窯を再利用したトンバイ壁など、焼き物の町ならではの風景が見られたり、また平戸藩に江戸時代から伝わる押し寿司の「平戸寿司」を食べられる『泰平や』では、手書きの三川内焼きの器で食事を楽しむことができます。
三川内焼の歴史を感じられる町並みをぜひ巡ってみてはいかがでしょうか。

詳しくは三川内陶磁器工業組合のホームページをご確認ください。
http://www.mikawachi-utsuwa.net/

 

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